【ブランド紹介】ロンジン
投稿日: 投稿者:WATANABETAIGA
ロンジンについて
ロンジンは世界の時計製造の中心地であるスイスにおいても特に古い歴史を持つ老舗です。
19世紀後半から20世紀前半には全盛期を迎え、スイスの時計メーカーの中でもいち早くアメリカ市場を開拓し近代的な製造方法で量産化に成功していました。
1910年頃には従業員1100人を超える規模となり、ロンジン社のための鉄道の駅や道路が整備されたほどのスイス時計を代表するメーカーです。
技術的にも高品質なクロノグラフキャリパーを自社生産するマニュファクチュールの一つでした。
歴代万博で合計10個のグランプリと28個もの金メダルを獲得し、最も受領歴の多いブランドとして抜群の信頼感を得ています。
始まり
ロンジンの始まりは1832年に「オーギュスト・アガシ」が設立した時計製造・販売会社である「アガシ商会」にさかのぼります。
オーギュスト・アガシの兄はアメリカの有名な博物学者である「ルイ・アガシ」で、こうしたアメリカの親族を通して早くから米国市場での国際的な成功を収めていきます。
オーギュスト・アガシの甥である「アーネスト・フランシロン」がアガシ商会の経営を引き継ぎ、1852年にスイスのサンティミエに拠点を移しています。
経済学者でもあった彼は家内工業的なビジネスを拡大させ、1867年にはサンティミエにある通称「Es Longines(細長い野原)」と呼ばれる土地に自社工場を設立し社名としました。
同年パリで開催された万国博覧会に出品された懐中時計は銅賞を受賞しています。
ロンジンの時計はその名声を利用しようとする偽造品を防ぐため、1867年以降のモデルから文字盤にLONGINESの文字が記され、翼のある砂時計のロゴがムーブメントに刻まれています。
現在まで使用されているこのロゴは1889年には商標登録されており、世界知的所有権機関(WIPO)に登録されている中で最も古いものだそうです。
全盛期
1876年ロンジンの技術責任者であったジャック・ダヴィドがアメリカの時計メーカー「ウォルサム」などの機械化された一貫製造の時計工場を視察し衝撃を受けます。
当時のスイスは「エタブリサージュ方式」と呼ばれる手作業の多い分業方式に頼っており、しだいに品質や価格で米国メーカーに押されるようになっていました。
ロンジンはスイス時計メーカーの中でもいち早く機械生産方式に転換していきました。
ロンジンは1896年の第1回近代オリンピックであるアテネオリンピックへのストップウォッチの提供、1899年の北極冒険旅行への時計の提供などでその信頼性を証明してます。
さらには各地の天文台のコンクールでの受賞や、歴代万国博覧会で合計10個のグランプリと28個もの金メダルを獲得し一流ブランドとしての名を盤石のものとしていきました。
腕時計の時代になると、フライバック機構を備えたクロノグラフや、大西洋横断飛行を成功させたリンドバーグの依頼により1931年に完成したパイロットウォッチ「アワーアングル・ウォッチ」は絶大な支持を集め、ロンジンのブランドは世界に広く知られていきました。
現在
腕時計の時代になってもトップクラスの知名度と人気を誇っていたロンジンですが、1980年代に起こったクォーツショックが原因で急速に経営が悪化してしまいます。
スイスの時計業界は大打撃を受け倒産が相次ぐ中、ロンジンはなんとか倒産をまぬがれましたが大幅に規模を縮小し、スウォッチグループの一員として生き残りました。
ロンジンは日本のセイコーがクォーツ時計を発売する15年も前の1954年に、世界初のクォーツ時計を開発し、ヌーシャテル天文台の制度コンクールで新記録を樹立しています。
そのクォーツ時計がロンジンを窮地に追いやってしまったのは皮肉な話です
ロンジンのスウォッチグループ内での位置づけは比較的リーズナブルな価格帯の高級時計となっており、ETA社のムーブメントを入れた時計がほとんどとなっています。
かつての輝きは失ってしまったかもしれませんが、これまでの輝かしい歴史とそのブランド力は今も色あせていません。
まとめ
懐中時計の時代から腕時計の時代まで、それぞれの時代で普及機から高級機、実用時計から宝飾時計まで幅広いバリエーションの時計を製造し、ロンジンだけでも幅広いコレクションが楽しめるブランドです。
特に懐中時計時代のロンジンはしっかりと作り込まれその信頼性も高く、コレクションの最初の時計としておすすめのメーカーです。